ドラえもん

それにつけてもおカネの欲しさよ(その2)<本当は怖いドラえもん>

さてみなさん、今回のお話もまたおカネの執着のお話と合わせて、おカネにまつわる社会、いわゆる貨幣経済について述べたいと思います。それでは、ごゆっくり。

おカネのいらない世界~しわよせの代償

ある日、どうしてもほしいラジコンを買おうとするもやはりおカネが足りない。
そこで『もしもボックス』にておカネのいらない世界にすればと世界を変えていった。
試しにラジコンを買おうとしたが、なんと商品とともにおカネも渡されたのだ。
そのことをママに告げると「また無駄もらいしたのね」と叱りつける。すると押し入れの中に大量の札束が詰まってあり仰天する。
実はおカネのいらない世界というよりも、おカネがたくさんあってはいけない世界だったのだ。

まあこのお話についてもうちょっと論理的に述べるならばここの世界でのおカネはいわば借用書みたいなもので、モノを買ったりするときに強制的に借金をするという寸法でもある。
まあそう考えれば理にかなっている、ともいえるけど。まあそれはともかく、

その後ものび太くんはいろいろ面倒事に巻き込まれ、さらに大量のおカネを押しつけられることになる。
結局こんな世界では気が狂いそうだということで、もとの世界に戻したそうな。

このパートでは安易にモノを買おうとして世界を変えたしわ寄せが一気に災難として降りかかった、ということになりのだが。まあいつも通りの文句ということで。

そのもしもボックスを使って、世界を安易に変えたしわ寄せによって災難を受けたという話はやはり少なくない。
例えば自分のお年玉はそのままで、物価を極端に下げた結果、事実上のおカネ持ちになったのび太くんは誘拐犯たちに狙われそうになったりもして、
あと論旨に外れるけれど先の居眠りの話やら、極めつけの魔界大冒険にて魔法の世界にして魔界という得体の知れないものを呼び寄せたりもした。
それはさておきここでのお話にては、おカネにまつわる社会すなわち貨幣経済社会において、おカネの有り難みを素直に感じ取っていこう、といったところか。

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それにつけてもおカネの欲しさよ・序<本当は怖いドラえもん>

さてみなさん、かつての記事にて『のび太という生き方~ドラえもんでも叶えられないユメ』において、欲望に根差したユメは叶えられないという趣旨の話について一言述べました。
そこではユメと冒険を求めるべき宝探しを欲望の一言で切り捨てることについて批判したけれど、そもそも横山センセイが批判したかったのは、宝探しそのものではなく大半の目的である財宝すなわちおカネへの執着だろう。
そこで今回はそのおカネへの執着についての批判を僕なりに解釈したく思います。

『してない貯金を使う法』
ある日どうしても欲しいプラモデルのためにドラえもんに話を持ちかけたところ「ばかいえ、おカネを作るなんて犯罪だぞ」と突っぱねられる。
そこでやむなく1日10円のパパの肩たたきのバイトをすることになった。しかしそれではいつたまるか分からない。
しかしそんな折おじさんが訪れてローンの話をする。その中の「おカネは後で支払えばいい」という言葉を聞きつけ、それならと未来に飛んで貯まった貯金を横取りすることにした。
うまうまと横取りして帰ったところ、未来ののび太くんが待ち構えていた。悶着の後にプラモデルを買ったのび太くんに未来ののび太くんは「必ず後悔する」と言い残し去っていく。
結局念願のプラモデルも作ろうとして失敗して台無しになり、肩たたきも「物事を途中で投げ出すのは一番悪い」とそのまま後悔とともに続けることになったそうな。

この話も安易におカネを得ようとして、結局失敗した上手痛いしっぺ返しを喰らった話である。さらには先のおじさんがローンの支払いに滞るといったオチも、現代社会の風刺として描かれた。
まあこれも結局、昭和40年代における経済事情を理解すれば分かるけど、昭和30年代の高度経済成長を経てモノとおカネが豊かになった時代のある程度の警鐘とも読み取れる。
ああそういえば、コツコツ努力をしておカネをためたほうがスバラシイにチガイない。といっても結局先の欲のせいでこの努力も「欲望の罰」ということで無駄になったし。まあその罰もある意味ギャグになっているからねえ。


その後もおカネが絡んだ話ではそのある意味のび太くんたちの悪態を通じて、おカネへの執着を戒める話をたびたび描いていった。
まあそんなわけでおカネに絡むお話をこれから僕なりにいくらかは解釈できると思いますが。

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のび太の堕落論(その4)<本当は怖いドラえもん>

さてみなさん、今回は眠ることと、それを趣味としているのび太くんを通じて、まあ勝手な解釈ながらこの根底を探りたいと思います。それでは、ごゆっくり。

眠りの天才のび太~寝れば現実逃避出来るのか

その日も授業中に居眠りをして先生やママに叱られ、ジャイアンたちにからかわれ、果てはどんな夢を見てるのかと調べたら、昼寝の夢だとドラえもんに呆れられる。

寝てばかりじゃ動物と変わりないとドラえもんは諭すも、のび太くんはもし寝ていれば尊敬される世界になったらと、『もしもボックス』でそういう世界にしてもらう。

果たしてその世界でののび太くんは一躍ヒーローに祭り上げられたが、町のみんなが眠ったままで、果ては居眠り運転のトラックが家に突っ込んで、のび太くんもこれはたまらんと、もとの世界に戻したそうな。

このお話は日常の煩わしさから解放されて、ゆっくりと(眠って)過ごしたいという誰しもが思うささやかな欲求とあとその弊害も描かれているということで。

然るにいっつもストレスにさらされっぱなしののび太くんは、寝ることによってそのストレスを押さえ込んでいるかもしれない。

そう考えれば日頃風当たりが強いのび太くんがストレスに押し潰されずになんとかやっていけたのもうなづける。

それを邪魔されるとすれば(と思い込んでいるにしても)やはりたまったものじゃなく、ついつい弱音を吐いてしまったのだろう。

あと、どこかのお話で「いっつもボーっとしているからストレスなんて感じない」といったくだりがあるけれど、それはウソだろう。

何故ならストレスを感じない人間なんていなく、むしろストレスは生物が本来持っている本能のひとつなのだから。要はそれをいかに制御出来るか、これにつきるだろう。

それを鑑みて、このお話はある程度の現実逃避のお話ともとらえられるだろう。

つまりは寝ることによって日頃ストレスの多い現実から離れようとしたのだけど、やはりそれだけでは何かと具合が悪い。

やはり、生きている限りぐっすりと寝ていてもやがて朝に目覚めるものだから、その辺の心構えをしっかりとやれればいいのでしょうね。

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インチキ科学と呼ばないで(その3)<本当は怖いドラえもん>

さてみなさん、今月から連載企画を従来の火曜から水曜へと掲載することといたします。まあこの方がスケジュール的にバランスがいいかなと思った次第ですが。

今週はおなじみひねくれたドラえもんのレビューをお送りしたいと思います、それでは、ごゆっくり。

さて、ドラえもんの秘密道具の中でもいろいろな薬がある。その中には実際に何かしかの効き目が出る薬や、どう見ても身体の効き目ではないような効果の薬とがある。
今回はこういった薬について、ナンセンスのメガネをはずして理論的に述べたいと思います。

『ヤセール』~飲む事象変換装置
その日ものび太くんは夕ごはんを残したのでパパも説教しようとするがのび太くんはテレビに見入ってどこ吹く風。そこでドラえもんものび太くんに食べ物の有り難みを教えようとヤセールという薬を出した。その時はのび太くんもまだテレビにくぎづけだったので薬を置いて部屋を出て行った。しばらくしてのび太くんは薬に気づいてそれを飲んでしまった。
はたしてのびたくんは学校に遅刻してしまい朝食を取れずじまいだった。ドラえもんもそれを見て「これでのび太くんもお昼の給食をしっかりと食べられるだろう」と笑顔を浮かべたが、それからもトイレのドアが壊れてお昼の給食が食べられず、夕方ジャイアンと夜中まで将棋に付き合わされて夕食が食べられなかった。
心配したドラえもんが言うには、1粒だけでいいものを10粒ほど飲んでしまったので今日から3日間、何も食べられないということだ。
仕方なくタイムマシンで4日後に飛んで盗み食いすることとなったが、そこでののび太くんに盗み食いの疑いがかけられ結局ごはん抜きを言い渡された。
実はその日も薬の効き目が残っていて、つまりは何も解決にはなっていなかったのだ。

この話について、このヤセールという薬はまあある種、薬の形をとった事象変換装置といった代物だろう。つまりは身体の具合に関係なく、薬を飲んで周りの事象に振り回されて効き目になるといった具合である。
そういった事象変換の薬は他にも「捨て犬ダンゴ」とか「無人境ドリンク」などがある。

まあそこで編者なりに解釈してみると。
ヤセール:1日1食分食べられないということで作中10粒飲んだのび太くんは3日分(本当はそれ以上なので4日後も)食べられなかった。ということは1食分聞けば1粒消化するということになる。
捨て犬ダンゴ:食べれば二度と家に帰れなくなるということだが最後には団子を吐いて帰れるようになる、ということから食べたダンゴが胃の中にくっついて効き目が半永久的になるといった具合である。
無人境ドリンク:飲んで人を寄せ付けなくなるというドリンク剤なのだが、ここでも事象変換の要素があるので、まあ生体そのものを事象変換装置のようにするということで、まあそのためか効き目は1日だけといった具合である。

さて話をヤセールに戻して、まあ今しがた何も解決になっていないと書いたけど、まあ躾話という観点からすれば「ハラペコの辛さはこれで分ったかい」というメッセージが込められているので、これでいいのだ、ということになっているのだが。
あと少し横道にそれて、話中に薬を飲んで「うまい」といったくだりがある。
これは観念的な問題で編者としてもうがったかなという感もあるが、良薬はもともと苦いもので、うまい(甘い)薬はかえって良くない効き目になるといったことになるのだろうか。
まあ昨今、「効き目を損なわずに飲みやすい薬」をつくるのは現代医療としても重要なファクターだから。
それに最近のスポーツ生理学では過度の食事制限はかえって逆効果というからねえ。

最後少し蛇足になるけれど、編者としては少しひねらせて、オチについてネタを組ませていただきます。

~3日3晩もものが食べられないということで4日後に近所でパンを買って食べることにして当面の飢えをしのぐ。
ところが「こら、買い食いはいか~ん」と先生が怒鳴り込んできたので、慌てて時空の穴へと逃げ込む。
現在へと帰る途中、突然のび太くんが乗り物酔いをうったえすかさずドラえもんは洗面器を出して吐き出させる。つまりはこれも薬の効き目だろうとドラえもんは述べる。
しかし吐いたものの中からいくつかの薬が消化されずにあったので、結果的には薬の効き目はなくなったので、次の日しっかりと朝食をとることができた。

まあこれも食べ物のありがたみが分ったかい、といった趣なのでどうでしょう。

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インチキ科学と呼ばないで(その2)<本当は怖いドラえもん>

<モノを覚えるということは>
さてみなさん、今回は人の記憶というものをいつもながらのドラえもんの道具を交えて考察したいと思います。
みなさんの中には受験や資格試験の勉強で記憶したい事項が多々あったと思います。その中で「もうちょっと楽にかつ大量に覚えたい」と感じた人もおられるでしょう。
そこでこのお話から。

『テストにアンキパン』~食べる記憶媒体

その日も次の日のテストで大わらわ、ていうか何をしたら分からなく慌てふためくだけののび太くん。そこでドラえもんがアンキパンを出してやりそれをノートの文字に写して食べるとその文字を覚えてしまうのだ。
そんなわけで何でも覚えられると調子に乗って食べまくるが、次の日に食べたものをすべて出して覚えたものをすっかり忘れてしまったそうな。
~まあこの当時は純粋なギャグとして話が成り立ったけど、結果的に食べたものを排泄してすべて忘れるというのは・・・・・。

まあ胃にたまったものを脳に伝えるという理屈は分かるけど。最近の脳医学の研究が進んでいる今になって考えれば、脳にもいくらかその情報は残るはずなんだけれどねえ。

当時はまあフロッピーディスクはおろかパソコンですらなかった時代だったから。

ああそういえば、同じ藤子F作品の『TPぼん』の中で、タイムマシン中の装置に本や教科書を入れて、伸ばした端子を頭につけて情報を脳に直接インプットする“圧縮学習機”なるものがあったけれど。

それがドラえもんの世界にもあればと思えば。でもそのことに融通かきかないのもドラえもんの話の流れだからなあ。

ここはやはり原始的に本やテレビを観て、またはCDなどで聞いて覚えるしか方法がないけれど、まあ昔から言われたように「読むだけ、聞くだけでは覚わらない、でも読まなきゃ聞かなきゃ覚えられない」だから、まあせめて脳がその気にならなきゃいけないのだけれども。
まあ編者がこうなのだから、今回は納得のいく結論には達しなかったかも、ごめんなさい。

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りっぱなパパに、なりたかった・・・・・<本当は怖いドラえもん>

さてみなさん、今回は先の卒業作品の章で後回しにしたお話を他のエピソードを付け加えて、大人になったのび太くんを通じて、大人としての生き方をいかに子供に教えるかを、まあ編者なりに述べたいと思います。それでは、ごゆっくり。

まずはこのお話から

『りっぱなパパになるぞ』
ある日の夜遅く、飲んだくれでパパが帰ってきて、それを目にしたのび太くんは「大きくなったらあんなパパにはならないぞ」と決心しようとし、一応タイムマシンで未来の自分を見てみようとする。
しかしそこでも、飲んだくれで家に帰ってきた自分の姿を目の当たりにした。

失望したのび太くんに未来ののび太パパは自身の事情を教え諭してから、自分なりにも頑張っていると明ける。
その言葉に一応納得し、自分も出来る限り頑張ってみようと決心しようとするのだった。

まあ大人には大人の事情や苦労があると、そこで教えたかったけれども。
そんなのび太パパは息子にどう見られているか、ということでこのお話です。

『タイムカプセル』
すこし未来のある日、のび太くんの息子ノビスケの乱暴がひどいので、のび太パパが説教の際にまぐれで取った100点の答案を見せて教え諭そうとした。
そこでノビスケは他に何かないかと探したところ、1枚の地図を見つける。
それはかつてのび太くんが思い出の品を未来に残しておこうと保管したタイムカプセルを記した地図で、しかもそれには何枚かの0点の答案も入っていて、果たしてそれをノビスケに見つけられ、のび太パパの面目は丸つぶれとなったそうな。

まあこんなわけで、まあ大きくなってものび太くんはのび太くんということでした。
まあそれでものび太パパはちゃんと父親の役目を果たしているのだが、こんな問題も起こしてしまう、ということでお次のお話は。

『のび太の息子が家出した』
その日はパパにこっぴどく叱られて憤るのび太くんのもとに息子のノビスケが家出をしてきた。聞けばのび太パパに叱られたので家出したのだ。
まあいつまでも居座っては困るので、のび太くんたちはのび太パパを訪ねる。そこでのび太パパも言い過ぎたと認めつつも、結局はかつてのパパと同じ気持ちだったとも言い聞かせる。
結局親も親なりに苦労しているということで、
あと現在に居座るノビスケはその息子を連れて説得にあたるのだった。

つまりは野比家の親は代々できの悪い子供に苦労している、と思い込んでいるかな、と。
それではのび太くんの人生は一体何なのだろうか、という問いにはこのお話をば、

『45年後・・・』
その日ものび太くんはしっかりとした生き方をしようと決心しようとする。もっとも周りは長く続かないだろうと思っているが。
そんなのび太くんのもと、一人のおじさんが現れる。何と45年後ののび太くんだったのだ。
そんなのび太おじさんはいれかえロープを使ってのび太くんと入れ替わり、その日子供時代を楽しんだ。
帰りぎわ、のび太おじさんはのび太くんに「君もさまざまな困難も乗り越えられる力を持っている」とはげますのだった。

まあ結局のび太くんはのび太くんなりに人生をしっかりを生きることができるということで、確かに最初のアレを見れば大きな飛躍だなと思うけれども。

まあそんなこんなで子供のころはともかく、大人になって、そして4、50代のオジサン、オバサンになったときに「いい人生だったな」と思えるような生き方をしたいものですね(遠い目)

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インチキ科学と呼ばないで(その1)<本当は怖いドラえもん>

人間切断機~空間断裂における(擬似的)人体断裂の科学

一概に空間断裂といってもその表現方法は様々ある。たとえば空間に穴をあけてそこから別の空間(次元)をつなぐ“門”と成す方法、その応用として物体、ことに人体のある位置に空間の“門”を創り、あたかも人体が断裂するように見せる技術がある。人間切断機などがそうである。
これは人間を切断するかに見せた手品をヒントに本当に人体を断裂させた(かに見せた)秘密道具である。原理は上半身の底面と下半身の頂部にそれぞれ見えない空間の“門”を創る。実際にはその“門”に引っかかっているといった方が正しい。
しかしながら一つの問題がある。この機能は2つの“門”が正常に機能してくれれば問題はないのだが、まあましてや断裂した“門”そのままが存在しているだけなので、もし一方もしくは両方の“門”が閉ざされてしまえば・・・・・。
とまあ自分でも怖いことを言ってしまったと思うけれど、まあ件の題のオチとして、断裂した下半身をコントロールロボットがどこかへ持って行ったが、ドラえもんの機転でのび太くんのもとへと戻ったそうな、ということで。

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インチキ科学と呼ばないで(序)<本当は怖いドラえもん>

はじめに

言うまでもなく、ドラえもんの魅力の一つに、毎回登場する不思議な秘密道具か挙げられる。
そんな中、これらの道具が実際に使えたらなと、誰しもが思ったことだろう。
しかしその反面、現在の科学の発達を挙げるまでもなく、一部を除いてそれら秘密道具がいかに荒唐無稽かということも承知していることだろう。
そこでこの章ではそれをあえて科学的視点から、かついつもながらのひねくれた視点で掘り下げていきたいと思う。

ということで、当企画における新しい章を立ち上げましたが、明日にさわりとして1件お送りいたします。

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のび太の堕落論・その2補足<本当は怖いドラえもん>

さてみなさん、今回は先の記事で述べた、優しさからくる堕落についてもう少しツッコミたいと思います。まあ取って付けたと思う人もおられるでしょうが、まあ先の記事もそのままにしておくとただの不貞腐れとも受け止めかねないので。
まあこんなわけで、それでは、ごゆっくり。

『しずちゃんさようなら』~優しさと、強さと弱さ。
この日も学校で残されて先生にこっぴどく叱られ、意気消沈したのび太くんはこのまましずかちゃんに顔を向けられないということで、出来るだけ避けることにする。ばかばかしいと思いながらもいじらしさを感じるドラえもんはとりあえず“ムシスカン”という飲んだ人を不愉快に感じさせ人を避ける薬を出す。それをのび太くんは1錠だけでいいのに大量に飲んだのだから、他人どころか自分さえも不快になって苦しみ出す。
しかしそこに今までの事情を知ったしずかちゃんが身を呈してのび太くんを助け出す。その後で「あれくらい叱られたくらいでいじけるなんて弱虫よ」と叱りつける。
しかしそんなしずかちゃんの優しさに感じ入り、自分も何とか次は頑張ろうと思うのだった。

さてここではやはり「優しさには強さが必要だ」ということを改めて感じられる。優しさからくる弱さから堕ちていったのは先の記事と同じものだという感があったが、先は冷たく突き放したのに対し、ここでは優しく、そして強く立ち直らせたものだ。
こういう優しさからくる強さをみんなで持とうではないですか。
と、今回はここで締めましょう。

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ドラえもん、卒業の日?<本当は怖いドラえもん>

初期のドラえもんにおいては小学一年生から六年生の学習雑誌にての連載で、六年生の3月号にてドラえもんから(ひとまず)卒業するという具合である。それに伴ってのエピソード、すなわち卒業エピソードについて今回は考察したいと思う。

さてその卒業エピソード、それにふさわしい作品をとピックアップすれば次の通り。

りっぱなパパになるぞ(76年度)

あの日あの時あのダルマ(77年度)

のび太もたまには考える(82年度)

のび太の息子が家出した(83年度)

右か左か人生コース(84年度)

まあ自分なりに厳選してこんなものだけど、76年度の『りっぱなパパに・・・』と83年度の『のび太の息子が・・・』は次回に回して、

まず77年度のと84年度のを要約して

『あの日あの時あのダルマ』

失くしたママの指輪を「なくし物とりよせ機」で取り寄せたのをきっかけに、今までになくしたものを面白半分に取り寄せているうちに1個のダルマを見つける。それは今は亡きおばあちゃんがのび太くんにあげたダルマで、そのことを思い出して一念発起をするのだった。

~これは過ぎた日を乗り越えて明日に向かって頑張れというメッセージが込められていて、これは横山センセイも述べているところ。

『右か左か人生コース』

はじめ、格闘家の人の話をドラえもんと一緒にテレビで見てから、その日もしずかちゃん家に行こうと、その際にコースチェッカーなる道具でしずかちゃん家に行く最良のルートをそれで調べようとするも、どの道も災難にあう道ばかり、途方に暮れるのび太くんにドラえもんは「人生は生易しい道ばかりじゃない、あの格闘家さんだってそうだ」と励まし、それで発奮したのび太くんはその災難にあえて立ち向かうのだった。

~人生は重要な選択肢の連続というのは真理だけれど、まあやはりしょっちゅう災難だらけの人生ってのもどうか、と毒を吐くのはここまでで、どんな災難でもその気になれば乗り越えられるものだ、といえば納得できるといえばそうだけど。まあ『さようならドラえもん』やら、大長編やらでそれは証明できたのだから、ねえ。

そして82年度の作品、これは重点的に述べたいと思う。

『のび太もたまには考える』

ある日いつものテスト勉強で大慌てののび太くんをよそにいつもの通り冷淡なドラえもん。

「僕がこんなに悩んでいるのに」と不貞腐れるも、ドラえもんは「いや、ただ甘えてるだけだ」とやり返し、「一度でいいから本当に悩んでみろ」と叱咤する。

のび太くんもそれならばととりあえず勉強を始める。そこにママがお使いを言い付ける。これも教育の一つと付け加えられたら返す言葉もないが、隣町の電気屋さんが遠かろうと結局才能カセットを出してやり、マラソン選手のカセットでお使いを済ませる。

その後のび太くんは面白がっていろいろなカセットを使って活躍をする。一通り試した後で、ふと考える人のカセットを使う。するとその場で深く思考にふける。

すべてはドラえもんの道具のおかげであり、いずれはドラえもんとは別れなければならず、いつまでも頼ってばかりじゃいられないと、自分からカセットを返すことにした。

たしかにこの話ではのび太くんもそうそう悪態をつかずに素直になっているなと感じる。

ここは「悩んだり考えたりして人は大人になるんだ」というメッセージが込められて、まさに卒業作品に相応しいなとしみじみ感じる。

まあそんなこんなで、これが85年度あたりからそうそうテーマを狙わなくなった感がある。

これはひとえに大人になっても読み続ける人も増えたし、いわゆる大長編が毎年のように掲載されたことが大きな要因だろう。

藤子F先生もまあ卒業作品などと言わずに日々のエピソードから何かを学んでほしいと伝えたかった、だろう。

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