ドラえもん

それにつけてもおカネの欲しさよ・序<本当は怖いドラえもん>

さてみなさん、かつての記事にて『のび太という生き方~ドラえもんでも叶えられないユメ』において、欲望に根差したユメは叶えられないという趣旨の話について一言述べました。
そこではユメと冒険を求めるべき宝探しを欲望の一言で切り捨てることについて批判したけれど、そもそも横山センセイが批判したかったのは、宝探しそのものではなく大半の目的である財宝すなわちおカネへの執着だろう。
そこで今回はそのおカネへの執着についての批判を僕なりに解釈したく思います。

『してない貯金を使う法』
ある日どうしても欲しいプラモデルのためにドラえもんに話を持ちかけたところ「ばかいえ、おカネを作るなんて犯罪だぞ」と突っぱねられる。
そこでやむなく1日10円のパパの肩たたきのバイトをすることになった。しかしそれではいつたまるか分からない。
しかしそんな折おじさんが訪れてローンの話をする。その中の「おカネは後で支払えばいい」という言葉を聞きつけ、それならと未来に飛んで貯まった貯金を横取りすることにした。
うまうまと横取りして帰ったところ、未来ののび太くんが待ち構えていた。悶着の後にプラモデルを買ったのび太くんに未来ののび太くんは「必ず後悔する」と言い残し去っていく。
結局念願のプラモデルも作ろうとして失敗して台無しになり、肩たたきも「物事を途中で投げ出すのは一番悪い」とそのまま後悔とともに続けることになったそうな。

この話も安易におカネを得ようとして、結局失敗した上手痛いしっぺ返しを喰らった話である。さらには先のおじさんがローンの支払いに滞るといったオチも、現代社会の風刺として描かれた。
まあこれも結局、昭和40年代における経済事情を理解すれば分かるけど、昭和30年代の高度経済成長を経てモノとおカネが豊かになった時代のある程度の警鐘とも読み取れる。
ああそういえば、コツコツ努力をしておカネをためたほうがスバラシイにチガイない。といっても結局先の欲のせいでこの努力も「欲望の罰」ということで無駄になったし。まあその罰もある意味ギャグになっているからねえ。


その後もおカネが絡んだ話ではそのある意味のび太くんたちの悪態を通じて、おカネへの執着を戒める話をたびたび描いていった。
まあそんなわけでおカネに絡むお話をこれから僕なりにいくらかは解釈できると思いますが。

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のび太の堕落論(その4)<本当は怖いドラえもん>

さてみなさん、今回は眠ることと、それを趣味としているのび太くんを通じて、まあ勝手な解釈ながらこの根底を探りたいと思います。それでは、ごゆっくり。

眠りの天才のび太~寝れば現実逃避出来るのか

その日も授業中に居眠りをして先生やママに叱られ、ジャイアンたちにからかわれ、果てはどんな夢を見てるのかと調べたら、昼寝の夢だとドラえもんに呆れられる。

寝てばかりじゃ動物と変わりないとドラえもんは諭すも、のび太くんはもし寝ていれば尊敬される世界になったらと、『もしもボックス』でそういう世界にしてもらう。

果たしてその世界でののび太くんは一躍ヒーローに祭り上げられたが、町のみんなが眠ったままで、果ては居眠り運転のトラックが家に突っ込んで、のび太くんもこれはたまらんと、もとの世界に戻したそうな。

このお話は日常の煩わしさから解放されて、ゆっくりと(眠って)過ごしたいという誰しもが思うささやかな欲求とあとその弊害も描かれているということで。

然るにいっつもストレスにさらされっぱなしののび太くんは、寝ることによってそのストレスを押さえ込んでいるかもしれない。

そう考えれば日頃風当たりが強いのび太くんがストレスに押し潰されずになんとかやっていけたのもうなづける。

それを邪魔されるとすれば(と思い込んでいるにしても)やはりたまったものじゃなく、ついつい弱音を吐いてしまったのだろう。

あと、どこかのお話で「いっつもボーっとしているからストレスなんて感じない」といったくだりがあるけれど、それはウソだろう。

何故ならストレスを感じない人間なんていなく、むしろストレスは生物が本来持っている本能のひとつなのだから。要はそれをいかに制御出来るか、これにつきるだろう。

それを鑑みて、このお話はある程度の現実逃避のお話ともとらえられるだろう。

つまりは寝ることによって日頃ストレスの多い現実から離れようとしたのだけど、やはりそれだけでは何かと具合が悪い。

やはり、生きている限りぐっすりと寝ていてもやがて朝に目覚めるものだから、その辺の心構えをしっかりとやれればいいのでしょうね。

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インチキ科学と呼ばないで(その3)<本当は怖いドラえもん>

さてみなさん、今月から連載企画を従来の火曜から水曜へと掲載することといたします。まあこの方がスケジュール的にバランスがいいかなと思った次第ですが。

今週はおなじみひねくれたドラえもんのレビューをお送りしたいと思います、それでは、ごゆっくり。

さて、ドラえもんの秘密道具の中でもいろいろな薬がある。その中には実際に何かしかの効き目が出る薬や、どう見ても身体の効き目ではないような効果の薬とがある。
今回はこういった薬について、ナンセンスのメガネをはずして理論的に述べたいと思います。

『ヤセール』~飲む事象変換装置
その日ものび太くんは夕ごはんを残したのでパパも説教しようとするがのび太くんはテレビに見入ってどこ吹く風。そこでドラえもんものび太くんに食べ物の有り難みを教えようとヤセールという薬を出した。その時はのび太くんもまだテレビにくぎづけだったので薬を置いて部屋を出て行った。しばらくしてのび太くんは薬に気づいてそれを飲んでしまった。
はたしてのびたくんは学校に遅刻してしまい朝食を取れずじまいだった。ドラえもんもそれを見て「これでのび太くんもお昼の給食をしっかりと食べられるだろう」と笑顔を浮かべたが、それからもトイレのドアが壊れてお昼の給食が食べられず、夕方ジャイアンと夜中まで将棋に付き合わされて夕食が食べられなかった。
心配したドラえもんが言うには、1粒だけでいいものを10粒ほど飲んでしまったので今日から3日間、何も食べられないということだ。
仕方なくタイムマシンで4日後に飛んで盗み食いすることとなったが、そこでののび太くんに盗み食いの疑いがかけられ結局ごはん抜きを言い渡された。
実はその日も薬の効き目が残っていて、つまりは何も解決にはなっていなかったのだ。

この話について、このヤセールという薬はまあある種、薬の形をとった事象変換装置といった代物だろう。つまりは身体の具合に関係なく、薬を飲んで周りの事象に振り回されて効き目になるといった具合である。
そういった事象変換の薬は他にも「捨て犬ダンゴ」とか「無人境ドリンク」などがある。

まあそこで編者なりに解釈してみると。
ヤセール:1日1食分食べられないということで作中10粒飲んだのび太くんは3日分(本当はそれ以上なので4日後も)食べられなかった。ということは1食分聞けば1粒消化するということになる。
捨て犬ダンゴ:食べれば二度と家に帰れなくなるということだが最後には団子を吐いて帰れるようになる、ということから食べたダンゴが胃の中にくっついて効き目が半永久的になるといった具合である。
無人境ドリンク:飲んで人を寄せ付けなくなるというドリンク剤なのだが、ここでも事象変換の要素があるので、まあ生体そのものを事象変換装置のようにするということで、まあそのためか効き目は1日だけといった具合である。

さて話をヤセールに戻して、まあ今しがた何も解決になっていないと書いたけど、まあ躾話という観点からすれば「ハラペコの辛さはこれで分ったかい」というメッセージが込められているので、これでいいのだ、ということになっているのだが。
あと少し横道にそれて、話中に薬を飲んで「うまい」といったくだりがある。
これは観念的な問題で編者としてもうがったかなという感もあるが、良薬はもともと苦いもので、うまい(甘い)薬はかえって良くない効き目になるといったことになるのだろうか。
まあ昨今、「効き目を損なわずに飲みやすい薬」をつくるのは現代医療としても重要なファクターだから。
それに最近のスポーツ生理学では過度の食事制限はかえって逆効果というからねえ。

最後少し蛇足になるけれど、編者としては少しひねらせて、オチについてネタを組ませていただきます。

~3日3晩もものが食べられないということで4日後に近所でパンを買って食べることにして当面の飢えをしのぐ。
ところが「こら、買い食いはいか~ん」と先生が怒鳴り込んできたので、慌てて時空の穴へと逃げ込む。
現在へと帰る途中、突然のび太くんが乗り物酔いをうったえすかさずドラえもんは洗面器を出して吐き出させる。つまりはこれも薬の効き目だろうとドラえもんは述べる。
しかし吐いたものの中からいくつかの薬が消化されずにあったので、結果的には薬の効き目はなくなったので、次の日しっかりと朝食をとることができた。

まあこれも食べ物のありがたみが分ったかい、といった趣なのでどうでしょう。

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インチキ科学と呼ばないで(その2)<本当は怖いドラえもん>

<モノを覚えるということは>
さてみなさん、今回は人の記憶というものをいつもながらのドラえもんの道具を交えて考察したいと思います。
みなさんの中には受験や資格試験の勉強で記憶したい事項が多々あったと思います。その中で「もうちょっと楽にかつ大量に覚えたい」と感じた人もおられるでしょう。
そこでこのお話から。

『テストにアンキパン』~食べる記憶媒体

その日も次の日のテストで大わらわ、ていうか何をしたら分からなく慌てふためくだけののび太くん。そこでドラえもんがアンキパンを出してやりそれをノートの文字に写して食べるとその文字を覚えてしまうのだ。
そんなわけで何でも覚えられると調子に乗って食べまくるが、次の日に食べたものをすべて出して覚えたものをすっかり忘れてしまったそうな。
~まあこの当時は純粋なギャグとして話が成り立ったけど、結果的に食べたものを排泄してすべて忘れるというのは・・・・・。

まあ胃にたまったものを脳に伝えるという理屈は分かるけど。最近の脳医学の研究が進んでいる今になって考えれば、脳にもいくらかその情報は残るはずなんだけれどねえ。

当時はまあフロッピーディスクはおろかパソコンですらなかった時代だったから。

ああそういえば、同じ藤子F作品の『TPぼん』の中で、タイムマシン中の装置に本や教科書を入れて、伸ばした端子を頭につけて情報を脳に直接インプットする“圧縮学習機”なるものがあったけれど。

それがドラえもんの世界にもあればと思えば。でもそのことに融通かきかないのもドラえもんの話の流れだからなあ。

ここはやはり原始的に本やテレビを観て、またはCDなどで聞いて覚えるしか方法がないけれど、まあ昔から言われたように「読むだけ、聞くだけでは覚わらない、でも読まなきゃ聞かなきゃ覚えられない」だから、まあせめて脳がその気にならなきゃいけないのだけれども。
まあ編者がこうなのだから、今回は納得のいく結論には達しなかったかも、ごめんなさい。

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りっぱなパパに、なりたかった・・・・・<本当は怖いドラえもん>

さてみなさん、今回は先の卒業作品の章で後回しにしたお話を他のエピソードを付け加えて、大人になったのび太くんを通じて、大人としての生き方をいかに子供に教えるかを、まあ編者なりに述べたいと思います。それでは、ごゆっくり。

まずはこのお話から

『りっぱなパパになるぞ』
ある日の夜遅く、飲んだくれでパパが帰ってきて、それを目にしたのび太くんは「大きくなったらあんなパパにはならないぞ」と決心しようとし、一応タイムマシンで未来の自分を見てみようとする。
しかしそこでも、飲んだくれで家に帰ってきた自分の姿を目の当たりにした。

失望したのび太くんに未来ののび太パパは自身の事情を教え諭してから、自分なりにも頑張っていると明ける。
その言葉に一応納得し、自分も出来る限り頑張ってみようと決心しようとするのだった。

まあ大人には大人の事情や苦労があると、そこで教えたかったけれども。
そんなのび太パパは息子にどう見られているか、ということでこのお話です。

『タイムカプセル』
すこし未来のある日、のび太くんの息子ノビスケの乱暴がひどいので、のび太パパが説教の際にまぐれで取った100点の答案を見せて教え諭そうとした。
そこでノビスケは他に何かないかと探したところ、1枚の地図を見つける。
それはかつてのび太くんが思い出の品を未来に残しておこうと保管したタイムカプセルを記した地図で、しかもそれには何枚かの0点の答案も入っていて、果たしてそれをノビスケに見つけられ、のび太パパの面目は丸つぶれとなったそうな。

まあこんなわけで、まあ大きくなってものび太くんはのび太くんということでした。
まあそれでものび太パパはちゃんと父親の役目を果たしているのだが、こんな問題も起こしてしまう、ということでお次のお話は。

『のび太の息子が家出した』
その日はパパにこっぴどく叱られて憤るのび太くんのもとに息子のノビスケが家出をしてきた。聞けばのび太パパに叱られたので家出したのだ。
まあいつまでも居座っては困るので、のび太くんたちはのび太パパを訪ねる。そこでのび太パパも言い過ぎたと認めつつも、結局はかつてのパパと同じ気持ちだったとも言い聞かせる。
結局親も親なりに苦労しているということで、
あと現在に居座るノビスケはその息子を連れて説得にあたるのだった。

つまりは野比家の親は代々できの悪い子供に苦労している、と思い込んでいるかな、と。
それではのび太くんの人生は一体何なのだろうか、という問いにはこのお話をば、

『45年後・・・』
その日ものび太くんはしっかりとした生き方をしようと決心しようとする。もっとも周りは長く続かないだろうと思っているが。
そんなのび太くんのもと、一人のおじさんが現れる。何と45年後ののび太くんだったのだ。
そんなのび太おじさんはいれかえロープを使ってのび太くんと入れ替わり、その日子供時代を楽しんだ。
帰りぎわ、のび太おじさんはのび太くんに「君もさまざまな困難も乗り越えられる力を持っている」とはげますのだった。

まあ結局のび太くんはのび太くんなりに人生をしっかりを生きることができるということで、確かに最初のアレを見れば大きな飛躍だなと思うけれども。

まあそんなこんなで子供のころはともかく、大人になって、そして4、50代のオジサン、オバサンになったときに「いい人生だったな」と思えるような生き方をしたいものですね(遠い目)

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インチキ科学と呼ばないで(その1)<本当は怖いドラえもん>

人間切断機~空間断裂における(擬似的)人体断裂の科学

一概に空間断裂といってもその表現方法は様々ある。たとえば空間に穴をあけてそこから別の空間(次元)をつなぐ“門”と成す方法、その応用として物体、ことに人体のある位置に空間の“門”を創り、あたかも人体が断裂するように見せる技術がある。人間切断機などがそうである。
これは人間を切断するかに見せた手品をヒントに本当に人体を断裂させた(かに見せた)秘密道具である。原理は上半身の底面と下半身の頂部にそれぞれ見えない空間の“門”を創る。実際にはその“門”に引っかかっているといった方が正しい。
しかしながら一つの問題がある。この機能は2つの“門”が正常に機能してくれれば問題はないのだが、まあましてや断裂した“門”そのままが存在しているだけなので、もし一方もしくは両方の“門”が閉ざされてしまえば・・・・・。
とまあ自分でも怖いことを言ってしまったと思うけれど、まあ件の題のオチとして、断裂した下半身をコントロールロボットがどこかへ持って行ったが、ドラえもんの機転でのび太くんのもとへと戻ったそうな、ということで。

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インチキ科学と呼ばないで(序)<本当は怖いドラえもん>

はじめに

言うまでもなく、ドラえもんの魅力の一つに、毎回登場する不思議な秘密道具か挙げられる。
そんな中、これらの道具が実際に使えたらなと、誰しもが思ったことだろう。
しかしその反面、現在の科学の発達を挙げるまでもなく、一部を除いてそれら秘密道具がいかに荒唐無稽かということも承知していることだろう。
そこでこの章ではそれをあえて科学的視点から、かついつもながらのひねくれた視点で掘り下げていきたいと思う。

ということで、当企画における新しい章を立ち上げましたが、明日にさわりとして1件お送りいたします。

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のび太の堕落論・その2補足<本当は怖いドラえもん>

さてみなさん、今回は先の記事で述べた、優しさからくる堕落についてもう少しツッコミたいと思います。まあ取って付けたと思う人もおられるでしょうが、まあ先の記事もそのままにしておくとただの不貞腐れとも受け止めかねないので。
まあこんなわけで、それでは、ごゆっくり。

『しずちゃんさようなら』~優しさと、強さと弱さ。
この日も学校で残されて先生にこっぴどく叱られ、意気消沈したのび太くんはこのまましずかちゃんに顔を向けられないということで、出来るだけ避けることにする。ばかばかしいと思いながらもいじらしさを感じるドラえもんはとりあえず“ムシスカン”という飲んだ人を不愉快に感じさせ人を避ける薬を出す。それをのび太くんは1錠だけでいいのに大量に飲んだのだから、他人どころか自分さえも不快になって苦しみ出す。
しかしそこに今までの事情を知ったしずかちゃんが身を呈してのび太くんを助け出す。その後で「あれくらい叱られたくらいでいじけるなんて弱虫よ」と叱りつける。
しかしそんなしずかちゃんの優しさに感じ入り、自分も何とか次は頑張ろうと思うのだった。

さてここではやはり「優しさには強さが必要だ」ということを改めて感じられる。優しさからくる弱さから堕ちていったのは先の記事と同じものだという感があったが、先は冷たく突き放したのに対し、ここでは優しく、そして強く立ち直らせたものだ。
こういう優しさからくる強さをみんなで持とうではないですか。
と、今回はここで締めましょう。

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ドラえもん、卒業の日?<本当は怖いドラえもん>

初期のドラえもんにおいては小学一年生から六年生の学習雑誌にての連載で、六年生の3月号にてドラえもんから(ひとまず)卒業するという具合である。それに伴ってのエピソード、すなわち卒業エピソードについて今回は考察したいと思う。

さてその卒業エピソード、それにふさわしい作品をとピックアップすれば次の通り。

りっぱなパパになるぞ(76年度)

あの日あの時あのダルマ(77年度)

のび太もたまには考える(82年度)

のび太の息子が家出した(83年度)

右か左か人生コース(84年度)

まあ自分なりに厳選してこんなものだけど、76年度の『りっぱなパパに・・・』と83年度の『のび太の息子が・・・』は次回に回して、

まず77年度のと84年度のを要約して

『あの日あの時あのダルマ』

失くしたママの指輪を「なくし物とりよせ機」で取り寄せたのをきっかけに、今までになくしたものを面白半分に取り寄せているうちに1個のダルマを見つける。それは今は亡きおばあちゃんがのび太くんにあげたダルマで、そのことを思い出して一念発起をするのだった。

~これは過ぎた日を乗り越えて明日に向かって頑張れというメッセージが込められていて、これは横山センセイも述べているところ。

『右か左か人生コース』

はじめ、格闘家の人の話をドラえもんと一緒にテレビで見てから、その日もしずかちゃん家に行こうと、その際にコースチェッカーなる道具でしずかちゃん家に行く最良のルートをそれで調べようとするも、どの道も災難にあう道ばかり、途方に暮れるのび太くんにドラえもんは「人生は生易しい道ばかりじゃない、あの格闘家さんだってそうだ」と励まし、それで発奮したのび太くんはその災難にあえて立ち向かうのだった。

~人生は重要な選択肢の連続というのは真理だけれど、まあやはりしょっちゅう災難だらけの人生ってのもどうか、と毒を吐くのはここまでで、どんな災難でもその気になれば乗り越えられるものだ、といえば納得できるといえばそうだけど。まあ『さようならドラえもん』やら、大長編やらでそれは証明できたのだから、ねえ。

そして82年度の作品、これは重点的に述べたいと思う。

『のび太もたまには考える』

ある日いつものテスト勉強で大慌てののび太くんをよそにいつもの通り冷淡なドラえもん。

「僕がこんなに悩んでいるのに」と不貞腐れるも、ドラえもんは「いや、ただ甘えてるだけだ」とやり返し、「一度でいいから本当に悩んでみろ」と叱咤する。

のび太くんもそれならばととりあえず勉強を始める。そこにママがお使いを言い付ける。これも教育の一つと付け加えられたら返す言葉もないが、隣町の電気屋さんが遠かろうと結局才能カセットを出してやり、マラソン選手のカセットでお使いを済ませる。

その後のび太くんは面白がっていろいろなカセットを使って活躍をする。一通り試した後で、ふと考える人のカセットを使う。するとその場で深く思考にふける。

すべてはドラえもんの道具のおかげであり、いずれはドラえもんとは別れなければならず、いつまでも頼ってばかりじゃいられないと、自分からカセットを返すことにした。

たしかにこの話ではのび太くんもそうそう悪態をつかずに素直になっているなと感じる。

ここは「悩んだり考えたりして人は大人になるんだ」というメッセージが込められて、まさに卒業作品に相応しいなとしみじみ感じる。

まあそんなこんなで、これが85年度あたりからそうそうテーマを狙わなくなった感がある。

これはひとえに大人になっても読み続ける人も増えたし、いわゆる大長編が毎年のように掲載されたことが大きな要因だろう。

藤子F先生もまあ卒業作品などと言わずに日々のエピソードから何かを学んでほしいと伝えたかった、だろう。

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子の心、親知らず<本当は怖いドラえもん>

さて今回はのび太くんのママについての講釈をばお送りする運びです。
まあ親子の間だから、という人もいるとは思うけど、まあデフォルメでこう描かれているのでああ見れるでしょう。
それでも分かっている人は分かってくれているものだけれど、ここはあえて突っ込まさせていただきます。

ママといえば何かにつけて叱りつけては小一時間説教をするということが挙げられるけど、まあこれも愛情の裏返しだろうと今更ながら思うけれど。
まあ今一つの欠点といえば世間知らずでわからず屋といったところか。
まずのび太くんの言うことをほとんど信用しない。これはいかにのび太くんの日頃の行いのせいだからといってもやはりいただけなかった。
まあ何せジャイアンやスネ夫の悪ガキっぷりは近所でも評判だけど、その2人のウソに簡単に騙されてはのび太くんを叱りつけるから、のび太くんとしては立つ瀬がないだろう。
しかしそれでも、息子に対する愛情は人並み以上だと僕でも信じている。『のび太の長~い家出』とか『タマシイムマシン』とか『パパも甘えんぼ』とか、いつも火の車の家計や家事で忙しく、そのいら立ちをついつい子供にあたってしまうが、いざというときは必死で守る。それが母親ってものですよ。
おや、今回はやけに素直だったかな。

あと引っかかったことだけど「ママが命令する」というよりも「ママが言いつける」と言った方がいいですね。だって親子の間ですから、横山センセイ。

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裸になろうよ<本当は怖いドラえもん>

たしかに今回はあまりにもフザけたサブタイトルだと自分でも思う。
実はドラえもんも結構エロスの要素があって、今となっては諸般の事情でなりを潜めたけど、今回はそのエロスの要素を出来る限り述べたいと思います。

まず挙げられるのはしずかちゃんのお風呂、これはしずかちゃん自身の趣味でありまた源家の家風でもある。
ちなみに付け加えるならば、『エスパー魔美』にて、マミがパパの絵のモデルになるシーンがあるけど、前述のそれと同義だろう。
それはさておき、その入浴時をのび太くんたちに度々のぞかれたり、高じて町中で服を脱がされたりと、あと映画では銀河超特急まで大胆なシーンもしばしばあったとか。
ちょっと横道にそれるけど、のび太くんもしばしば裸にされるし、ジャイアンやスネ夫も泳ぐ時たまに素っ裸で泳いだりもする。

まあさらには編者も前にこのようなネタをかつては載せたのだけれど。
それはそうと、これは子供でもそろそろ性について考えてもいいかなという、当時の藤子F先生の配慮もあったかなと思う。

その背景として、やはり当時の漫画雑誌といえば少年誌と少女誌、あと一部の青年誌に成人向けポルノ雑誌といった具合。それが80年代に入りヤングジャンプをはじめとする準青年誌や少年誌風のライトなタッチの成人向け雑誌、いわゆる美少女コミックスの創刊が相次ぎジャンルの細分化も進み、それに伴って少年誌における性描写も徐々に抑えられることになる。
それが80年代末の誘拐殺人事件を受け、業界も自主規制が激しくなった。
まあそれでも落とし所を何とか探し、今ならまんざらではない感もするが。

それが現在いわゆる児童ポルノ禁止法などの影響が出てきたりもする。
たしかに子供を喰い物にする犯罪が抑制されることには賛成だけど、それが漫画表現そのものにも影響が及ぶのはやはりいただけない。
これは「漫画が人を侵す」のでなく「人が人を侵す」のだから。要は人の自制心ですよ。

結局オチとして、しずかちゃんもマミもまだ子供だからねえ。当時の子供たちの(編者含む)甘酸っぱい思い出として認知されればいいと思いますが。

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80年代のジャンプの躍進はドラえもんのおかげ?<本当は怖いドラえもん>

 然るに編者がとやかく語るまでもなく、80年代の少年ジャンプといえば、『キン肉マン』『Dr.スランプ』『ドラゴンボール』『キャプテン翼』『聖闘士星矢』『北斗の拳』などなど、数多くのヒット作を輩出し一時代を築いた。
さてこれらジャンプの大ヒットがドラえもんによってもたらされた、と聞いたらどうか?

 手前勝手ながらもちろん断言はできない。確かにたとえドラえもんを卒業した読者が出たとしても、下の子が新たに入ってある程度読者層を維持していくのが基本的であり、その卒業した読者が新しく読む雑誌、例えば小学館には少年サンデーがあり、そこでも当時は『タッチ』『うる星やつら』『B・B』が、またかつてのヤングサンデー系だったら『エリア88』『ミュウの伝説』や『エスパー魔美』が、もうちょっと上ならスピリッツの『めぞん一刻』『YAWARA』『美味しんぼ』などが活躍していたから。
 まあそれにつけてもジャンプの80年代の躍進はまあまあ認めるところ。それについてある程度の仮説を立てたいと思う。

 ドラえもんの連載において初期のころは様々な問題を秘密道具で解決するというのが基本的であったのを、学年が進むにつれて描くページが増えたことにつれて物語の幅もまた増えたのだが、それに伴って解決してからハメを外してズッコケるという展開に置き換えられ、さらには学習雑誌という手前それらに様々な教訓をたれるようになってきた。それが後期になって、前述の話がエスカレートしていいとこなしにズッコケのみの話やら仕返しが成立しないまま返り討ちというオチの話やらまでが出てしまう始末。それで一度負けグセが付けば、ということになるだろうか、結局ズッコケ話と教訓話、言ってしまえばある意味自虐的な展開か大半を占めるにようになり、話的にはどこか面白くない。もちろん自分的には納得のいくエピソードもあるけど。
 そんなこんなで子供たちの失望からジャンプへの移行に走らせ、80年代からの隆盛とあいなったのだなといったところ。何度も言うけれど、それが正しいかどうかは何とも言えない。
 まあジャイアンとフリーザやラオウを一緒くだにするのは無意味なのだけれど(あと大長編歴代の悪役も)

ともかくどんなにがんばっても土壇場のズッコケですべてが台無しになるよりも、いかなる苦難を味わっても最後には宿敵に勝利するという展開が子供たちにとってはウケがいいに決まっている。まあもっとも、自虐的なギャグを売り物にしている作品が今でもジャンプで連載しているのは事実なのだが。
 まあ我ながらずいぶん言いたい放題だったなと少し反省して今日はこれでシメといたしましょう。

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子どもに自己顕示欲はどうよ(その2)<本当は怖いドラえもん>

<ヒーローに憧れて>

さて、みなさんのご幼少のころ、誰もがテレビやマンガのヒーローに少なからず憧れることがあったことだろう。

ここではそんな願望をあえて自己顕示欲と結び付けキャラクターごとに述べたい。

のび太くんの場合『フクロマンスーツ』

テレビで人気のヒーローにあこがれてドラえもんに“フクロマンスーツ”を出してもらうが、いざ活躍しようにも、やること為すことドジばかり。

後に謎の怪人フクロマンと近所の噂になったそうな。

これはまあ「柄でもないことを」といった類いの話で、まあいわゆるお約束ということで。

スネ夫の場合『エスパースネ夫』
ある日、のび太くんが10円玉をテレキネシスで動かそうとしたところ、スネ夫が「エスパーなんていない」と散々からかわれたのを仕返ししようと透明マントでスネ夫ん家へと忍び込み周りの物を持ち上げてはスネ夫自身に自分はエスパーだと思いこませた。それで実際みんなにそれを見せようとしたところ、結局物が持ち上がるはずもなく、赤っ恥をかいたそうな。
これはいつもの仕返し話ということで、

そもそもスネ夫といえば何かにつけいっつも自慢ばかりしていて、のび太くんもその鼻をあかそうとしたりできなかったりと、ここではスネ夫の自己顕示欲をくすぐって見事に仕返しが決まった一例ということで。

お次は続けて2本、

ジャイアンの場合『スーパーマンになるマント』
ジャイアンの乱暴にいっつも悩まされているのび太くんはドラえもんにスーパーマンになるマントを出してもらい、どうせならジャイアンに活躍させようと、おだててマントをつけさせる。そして近所の子供たちにジャイアンを呼び寄せる笛を配って回り、その呼びかけに応じてジャイアンはいろいろ活躍するのだが、なにせ食事時や入浴時にも呼び寄せられる始末。しかも一度つけたら100回活躍しないと脱げないという代物だったのだ。

しずかちゃんの場合『魔女っ子しずかちゃん』
ある日テレビ番組の魔女っ子にあこがれたしずかちゃんは、のび太くんに魔女っ子気分を味わいたいと頼み込む。
そこでドラえもんの力を借りることになり、ドラえもんも困惑しつつもとりあえず秘密道具を貸してやることにし、それで困っている子たちを助けて回ったのだが、あまりに帰りが遅くなったので家に入れてもらえなくなり、今度はしずかちゃんが困ってしまったそうな。

~まあジャイアンとしずかちゃんの場合は(ジャイアンは半ばはめられたのだが)、次の一言が当てはまる。
曰く「大いなる力には責任が伴う」と。
そう、スパイダーマンにて主人公のピーターを育ててくれたおじが諌めた言葉である。その言葉から『エスパー魔美』や短編の『ウルトラスーパーデラックスマン』などに活かされたのはご存じのとおり。
こればかりは編者も素直に肯定するもので、まあ多少の誇張は認めるけれど。

何かを為すことにはそれなりの責任を持たなければいけないということで、たまにはそのことに思い致してほしい、ということで。

ともかくも、これらに共通することはヒーローに憧れたばかりに最後には失敗するということだけれども、これはまあお約束ということで。まあ付け加えて「なまじ普通の人間がヒーローのユメを持てばロクなことがない」と評するのは酷だし第一ユメもチボーもない。だいたい、大長編では結構みんなヒーローばりに大活躍しているじゃないですか。


<この世で最も卑しいこと>

あとおまけとして、自己顕示欲からくる、人を比較したりこき下ろしたりすることの愚を描いた作品で締めたいと思います。


『僕よりダメなやつがきた』
ある日、多目くんという子が転校してきた。その子はのび太くんより出来が悪く、それに気を良くしたのび太くんはいろいろと自分と比較しては優越感にひたる。後日ジャイアンたちに野球の試合に引っ張られそうになると、代わりに多目くんを立てたりもした。
そこでドラえもんは“配役入れ替えビデオ”を出して先日ののび太くんの行いをスネ夫と入れ替えて教え諭す。

こうして野球に負けたことを責められる多目くんをかばうのであった。

これは「人を羨んだりこき下ろしたりするのは恥ずべきこと」という話ということで、素直に評するに、途中ドラえもんが諌めたとはいえ、結局のび太くんは人を出し抜いたり羨んだりは出来ない性格だったなあということで。そういうのはスネ夫だけで十分だ、っても、ちょっと違うけど。
まあ最後のエピソードは、後にその多目くんが引っ越すに際し、自分に親身になってくれたのび太くんを本当の友達と言い残したそうな。

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6月の予定

さてみなさん、6月、もうすぐ(もうかな)夏です。

僕の方も体調には気をつけつつ仕事に趣味にと日々を過ごしています。

さて今月本サイトの方はアニメにてアニメ化予想ネタの方を2、3ほど、ブログではジャンカプにて新旧キャラを織り交ぜつつお送りしたい所存です。

あとひとつ、先月のドラえもんのコンビニ文庫『どんな夢もかなえます』の章について、まあかなえられたユメとそうでないのとが織り混ざったこと、まあこれは全体を見ればうなずけることだけれど。それよりもこの章では始めジャイアンのいじめにはじまってそれを仕返ししようにも返り討ちにあった話が立て続けに2話連続したこと、これは願いが叶う叶わないよりも自分としてはカチンと来たことです。

それを踏まえて今回それについての毒を吐かせて下さいまし。

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やっぱりいじめは悪いことだよ<本当は怖いドラえもん>

やはりこれもネットで得た情報なのだけど、一目見た一文が胸に突き刺さった感がありどうしてもこれについて掘り下げなければならないと思い次の論をしたためました。

その文とは「いじめはそんなに悪いことではない」という一文を。

もちろん、今となっては暴言の類になるだろう。しかし作中ではそうそう問題になっていないように感じる。

まず考えられるのはエピソードごとにジャイアンたちのいじめが起きると、それをすぐさま対処して解決したりできなかったり、ということなのだが。
繰り返すがジャイアンといえば、まず日頃の鬱憤、ムシャクシャをいじめで晴らし、また自分の手を汚さないようにと、バットなどの凶器を使うなど、これだけ見ればもはや友達だのいじめっ子だのというレベルでは済まされないことだろう。
まあそれでも、作中で町内のガキ大将と描かれているのだが、それでもやることなすことは度を越している。
それをあえて意地悪く拡大解釈するならば「(ジャイアンたちにいじめられるのび太くんが)いじめられしごかれることにより人間が鍛えられ、現代社会の荒波をも乗り越えられることだろう」とF先生ならばそう思われるだろうと、まあかつては邪推するものでしたが。確かに「いじめられれば最後までやり返せ」(夢まくらのおじいさん)というのも一般論として触れているがこれは後の説明にて。

そもそもドラえもんの初期の時代背景は 昭和3、40年代。その時分を識者に聞いてみれば、そのころの大人たちはほぼ戦中世代で、学校の教育はそれを引きずっての軍隊教育(みたいなもの)が半ば容認されていた。
それは授業にてのしごきや体罰は当たり前で、中には叱られしごかれることはむしろ感謝すべきことであって、さらには殴られてベソをかこうものならさらにタコ殴りという事態もあったそうな。
それでその鬱憤を下の子、ことに中高生あたりは小学生あたりをいじめてはウサを晴らす始末であった。そんな中で同い年程度のいじめなら対等のケンカで済まされたのだけれど。

まあそれが大まかな裏の事情としてある程度作中でくすぶってきた。

それが80年代初頭の校内暴力問題を皮切りに、“いじめ”の罪悪が90年代になってようやく問われ始めた。今まで程度の差こそあれ子供は平等であるといった暗黙の了解が崩れたこと(まあこれについては前々からだけど)が主な原因であるだろう。ついでにドラえもんとのび太くんとの関係が対等な友達でなくなったのも致命的だった。

そしてドラえもんにおいてもいじめそのものの罪悪に気づいた時にはある意味手遅れだったのだ。

そこで我々としてはそのある意味負の循環をある程度摘み取って次代の子供たちのためにいじめの少ない社会を築いていくべきではないか。せっかく先年リニューアルしてきたことだし。

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子どもの自己顕示欲ってどうよ(その1)<本当は怖いドラえもん>

<基本的な人物関係について>

さて、みなさんの中には子供の頃人より目立ちたいという願望が多少なりとあったはず。
ドラえもんにおいてもその願望、まあ意地悪くいえば自己顕示欲が絡んだ話が少なからずありますが。
まずは軽いジャブということで二話ほど紹介して基本的なキャラ関係を述べたいと思います。

『割り込みビデオ』
ある日、空き地でまたいじめられているかと思えば、今人気のアクション番組のヒーローごっこだというが、そこでのび太くんはいつも悪役をさせられていたのだ。
そこでドラえもんは割り込みビデオを出して、あらかじめ録画したその番組の主役に入れ替えさせてもらったのだ。
それで気をよくしたのび太くんだったが、今度は聞きつけたジャイアンたちによって結局また悪役に変更させられたそうな。

『イージー特撮カメラ』
ある日ドラえもんが出したイージー特撮カメラを使って、特撮映画を自主製作しようとしずかちゃんや出木杉くんたちを誘って映画をつくっていこうとするが、途中ジャイアンが割り込み自分も映画作りに入れろと迫ってきたので、なんとか言いくるめて映画を完成させたのだが、結局試写会の日に乱入したジャイアンによって映画は台無しになってしまったそうな。

まあ以上のように、作中で子供たちの中で最も力があるジャイアンの自己顕示欲にてその下にいる特にのび太くんが貧乏くじをひいたり、気に入らないからと言ってはせっかく作った作品を壊されたりと結構迷惑を被っているとか。まあ先に言ったけれど「欲望というものは際限なく膨張する」ものだなということで。
しかもこの問題はドラえもんが介入しようとしてもなかなかうまくいかないのも事実。しかしまあそこを何とかしてほしいと子供心にそう思ったことで。
いっつも威張りくさっているジャイアンとスネ夫を懲らしめてこそドラえもんにおけるストーリーの痛快さが得られるわけなのだけれど。
それが後期になって結局は友達なのでということで、半ばなあなあで済まされる感がしてしまう。そういう文句も理解できるけどそれが教訓話につながってしまうとちょっとつまらない。
もっとも、痛快さを得たいなら、ということでの大長編があるけれども。

と話が横にそれたので、今回はここまで、ということで。

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本当は良い子なんですよ<本当は怖いドラえもん>

ここでは前回の補完ということで、結局のび太くん自身はどうなのか、というと、

まず『悪魔のパスポート』の巻にてはちょっとしたことで魔が差したことから実際悪いことをいろいろやっちゃおうということになるのだが、さすがに良心がとがめて最後には思いとどまったということ。
まあ結局は悪いことはできない性格なんですよ、というわけで。

次に『悪の道を進め』の巻にてはせっかく正しく生きると決心したのに、ガラでもないことを言ったばかりなのか結局失敗の連続で、のび太くんも自暴自棄になるのをドラえもんがよい子バンドを出して思いとどまらせるということ。
これは最初からバンドを出せばある程度活躍できたのに、結局ピエロじゃない、といったツッコミを述べてから、
やはり素直に評してみれば、人が何かを成そうとする時に、ある程度の挫折を一度ならず味わうこともあるだろうけれど、そんなときにも誰かが支えてくれるといったことを教えたかったのだなあ、というわけで。

あと最後『のび太の結婚前夜』にて結婚を間近に控えたしずかちゃんが父親に不安をたれると、その父親は旦那になるのび太くんのことを「あの子は人の幸せを願い、人の不幸を悲しむことができる子だ、それが人間にとって一番大切なことだ」と説いたということ。
まあもともと、のび太くんは優しくて思いやりがある子なのだけれども、日常の困難やズッコケなどでそれを忘れがちになって、その最たるものが(まあ今となっては誇張にすぎないのだけれども)第1話の悲惨な運命においてまあ貧すれば窮するといった事態になってしまうのだが、それをドラえもんの道具や、時には周りの友達の助け、しずかちゃんはともかくとして、たまにはジャイアンやスネ夫などもあるけれど、そして何よりのび太くんの一握りの努力で人間的に成長したのだなということで。

まあともかく、本当はよい子ののび太くんを通じてある程度勇気づけられた読者(編者含む)は本当に数多くいると思うのですよ。

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のび太は悪い子?<本当は怖いドラえもん>

これは前回までの『のび太の堕落論』のまあちょっとした総括のような記事と受け止められればよいかと。

結論からすれば、一概にはそうはいえないといったところ。まあマンガの演出上どうしても悪い子のように仕立て上げなければならない、ということかな。まあ言ってしまえば性悪説がかつての日本の教育に幅を利かせていたのがそうなのだけれども。

ともかく、のび太くんのイタズラや悪事について、またそれを通して何が描かれたのか、いつもどおりヒネくれた視点で今回は考察したい。

まず、勉強をしない(できない)からママや先生に怒られる、ということから、勉強をしないので悪い子だ。というのは今となってはそうともいえないのが大半だろう。
 昔で謂う「末は博士か大臣か」という高学歴=高い地位や収入という法則も崩れて久しく、まあかといってゆとり教育の弊害も昨今あるので、この場合ママはまあよしとして先生の場合はある意味いじめっ子のレベルに堕してしまったのが実状だろう。

 とまあこれはここまでとして、

次に道徳的視点から、たとえば道ばたにかんだガムのカスを吐き捨てたり空きカンを捨てたりと、まあある程度のマナー違反、まあ確かにやってしまって「しまった」というほどだからまだいいが。

あと一般生活において、そういえばのび太くんは本来いたずら好きな子とはじめ設定された覚えがあるけれど、まあたしかに秘密道具の便利さに羽目を外して最後にはひどい目に遭うオチがパターンになったのだのもこういう事情だったのだろうと考えられる。まあこれも愛嬌と受け止められるからねえ。
 あと話と並行してジャイアンやスネ夫たちの悪事も描かれることもあるが、それらはほとんど無視される。問題にされるのはあくまでのび太くんの悪事で(まあほとんどイタズラ程度だけど)それはひとえに読者の子供たちに対するメッセージ、まあいわゆる躾話ということで。

 そもそもドラえもんはポケットから出す不思議な秘密道具で子供たちにユメを伝えるのが趣旨だったが、それに付随しての教訓も描かれることから、あと掲載された雑誌が学習雑誌という建前から次第にその教訓的要素が前に出がちになって(また純粋な漫画雑誌であったコロコロコミックも)、結果時折陳腐な躾話となってしまう。
 そもそも子供たちにユメを与えるはずがいつの間にか躾と置き換えられてしまった。はっきり言うけれどこういうのは純粋な読者として必ずしも本意ではない。否、一番本意ではなかったのは本来はのび太くんをご自分の分身として世に送り出した藤子F先生だろう。
 いかにご自分から読者の子供たちに委ねたとはいえ、ご自分をある意味傷め続けたことには変わりはなかったのだから。

 つまりは躾もいいけれど、ほどほどにしなければかえってつまらないってことであるから。

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のび太の堕落論・その3<本当は怖いドラえもん>

さてここでは、日常の中で一番堕落につながりやすい怠惰について述べたいと思います。

『のび太の地底国』~怠けることは悪いこと、だけど・・・・・。
この日も学校が嫌だと悪態をついてはドラえもんになだめられるのび太くんは、0点の答案を隠そうと穴を掘る道具を貸してもらおうとどこでもホールを使ったところ、巨大な空洞を発見する。そこで地底都市をつくることにしてしずかちゃんたちを誘ったが聞きつけたジャイアンたちもついてきてしまった。ともかくも新しい遊び場とこの地底都市をのび太くんが「どうせなら自分たちの国にしよう」と提案する。
しかしみんなが国造りをしようとしている中でのび太くんだけ怠けて昼寝をしているので、みんなの非難を受け、結局地底国は崩壊し、逃げている途中に手にしていた0点の答案を見つけられママにしかられたそうな。

この話についてそもそも話の動機は「怠けたい」という願望から始まった。それがみんなの新しい遊び場がほしいという願いかと合わさってそこは自分の欲望を優先させたてしまったのはやはりまずかった。まあ確かに自業自得は分かるが、堕落の罰といえば狙いすぎかなと、まあこれもデフォルメといったところかなあ。
まあそれはともかく、こういった場合は自分の我を通さずにみんなで力を合わせた方がよかったと思うけれど。

まあ子供のころからの「一切の堕落や甘えは許さない」というのも分かる。ある程度大人になるための人生勉強、社会勉強も必要不可欠でもある。しかしながらそれだけでは疲れるのでたまには休んだり怠けたりするのも必要なのかなと。それから、大人ですらたまには甘えたいという願望はあるから。
まあつまりは堕落するのと、頑張ろうとする途中で一休みするいわゆる“ガス抜き”というのとはやはり違うということで、それでも本当の努力というのは休み暇もないというのも理屈では分かるけれど、ねえ。

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ユメとロマンを欲望と履き違えるなかれ<本当は怖いドラえもん>

さてみなさん、今までややひねくれたドラえもんの本レビュー、その作成に当たり数多くの文献を参考させていただきました。その中でも『「のび太」という生き方』(横山泰行著・ASCOM刊)の中の1論にあえて意見を述べさせていただきます。

それでは、ごゆっくり。

さてここに、横山泰行センセイの『「のび太」という生き方』という本の中、”ドラえもんでもかなえられない夢“という論がある。そこに「宝探し」に関してのセンセイの意見を読み返してみたのだが、どうしても心に引っかかるものがあったので、暴言を承知で述べたいと思う。

この論で挙げられる『宝星』の巻(後述)を通じ、宝探しのネタを欲望の集大成と評し、シメとして「子供たちに叶うユメと叶わないユメを教えようとし、自分でコツコツと地道に努力することの素晴らしさ教えたかったに違いない」と断じた。

しかし、ちょっと待ってほしい。確かに金銭慾が絡んだ話にてはたいてい骨折り損となるのだけれども。

宝探しといえば昔は手塚治虫先生の『新宝島』や宮崎駿カントクの『どうぶつ宝島』など、今はさしずめ尾田栄一郎の『ONE PIECE』と、常に子供たちの夢とロマンをかきたててきたもの。

それを欲望の一言で片付けるのはいかがなものか。たしかに話に冒険がなかったからとも受け止められるのだが。そう、冒険も努力あってはじめて大成するものなのだから、たとえどのような結果に帰しようとも。

もっとも、冒険を絡めての宝探し話はほとんどか「ごっこ」に終始している。ちなみに冒険を抜かし、さらにはイタズラを企んだとしても、最後には素晴らしい宝を手に入れた話もある。

『化石大発見の巻』

ある日、スネ夫に裏山の宝の地図を渡されるも、今日はいわゆる四月バカということで結局だまされて、さらには隣で化石の発掘をしている研究者のおじさんに邪魔だと追い返される。

そこでからかい半分で昼食の魚の骨やら燃えないゴミやらをタイムふろしきで化石を生成する。

その捏造化石をおじさんに見せ、狂喜するおじさんに流石に良心がとがめたか、そのタネを明かしてしまう。その折に何と新種の三葉虫が姿を現す。おじさんが言うには世紀の大発見ということで、結局はすばらしい宝を見付けることができたそうな。

もっとも、この場合は財宝ではなく化石ということだけど、まあそれはさておき、

また首尾よく財宝にたどり着いたとしても、うまうまと手にいれるかというとそうでもなく、多少の後髪を引く思いとともに(あとドラえもんも一言言うだろうけれど)そのまま放っておくだろう。

実際『のび太の大魔境』にて、王国を救ったドラえもんたちにペコが国の財宝を贈ろうとするも、きっぱりと謝絶したのだ。

第一”意外と、のび太に欲はない”にも書かれているじゃないですか。

まあ要は、大人のモノサシで大人の意見を述べ、子供のユメとロマンをそうそう壊してはいけないと思う。それが大人に対する意見でも、第一それをどうやって子供に教えるべきなのか。

最後に横山センセイがカットしたパートを補完してシメとしましょう。

『宝星』

自分も宝を発見したいと、宇宙の宝星を探索せんと意気込むのび太くんたち、いさ見付けたとしても、小さな星のケシ粒くらいの宝や巨大な宇宙人の貯金箱やらと当て外れなものばかりで流石に諦めかけた。(ここまでが横山センセイの引用の要約

そんなゲンナリとした二人のもと、もう一つの反応が出てきた。

気乗りしない中現地へたどり着いた二人。掘り返してみればやっぱり円形の石の固まりだった。

通りかかった現地人が言うには、その星のお金でそれもかなりの大金だそうだ。

とはいえこの星でしか通用しないので、とりあえずこのお金で土地と別荘を買い、しずかちゃんたちを誘って当分の間セレブ気分を満喫することとなったそうな。

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のび太の堕落論・その2<本当は怖いドラえもん>

さてみなさん、今回も前回と同じく、今の現状から逃げて堕落しそうになるお話をお送りします。それでは、ごゆっくり。

『森は生きている』~優しい心も間違いだったのか?

その日ものび太くんは裏山の森で昼寝をしていた。その際に裏山のゴミを拾うなど、裏山に対する愛着を感動したドラえもんは「心の土」を出してやる。その裏山と関わっていくうちに次第に家から離れた生活を送り、ついには家出までもしてしまう。そこでドラえもんは裏山の精に頼みこんでのび太くんを追い返してもらったそうな。

これははじめ、裏山を守っていこうという心根からのことだけれども、それが次第にのび太くんの堕落話に話が置き換えられてしまった。挙句にドラえもんは言う「のび太くんに心の土を渡したのが間違いだった」これについては「いや、ちょっと待ってくれ」と言いたい。これではこの話を作ったのも間違いだとも受け取れるではないか。
そもそもこの話はのび太くんと裏山の森の自然とのふれあいを描いた話であるはずだった。それが森との心の交流と別れを描きたかったのだが、やはり別れ方が確かに厳しかったのだが同時に無責任ともいえるやもしれない。この場合は裏山の精が生きていく道を諭していった方がよかっただろう。結局自己満足とも取れるオチになってしまったのが悔やまれる。

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のび太の堕落論・その1<本当は怖いドラえもん>

さてみなさん、今回の本当は怖いドラえもんは、秘密道具の便利さに溺れて堕落してしまう話とその裏面のストーリーを掘り下げてみようと、何回かに分けてお送りする運びです。まずはこの作品から。

『いたわりロボット』~何倍の努力で一人前なのか?

いっつもしかられてばかりで落ち込んでいるのび太くんにドラえもんはいたわりロボットを出してやる。彼女に慰められたのび太くんだったが、次第に甘えきってしまう。

そこでドラえもんはタイムテレビで未来の落ちぶれたのび太くんを見せて、こりゃいかんということで今度は厳しいしごきロボットを出してもらったそうな。

当時はまだ“癒し”の要素がまだ重要視されていないけれど、あまり癒しが過ぎるとやはり堕落してしまうといったところか。かといって最後には厳しくしごいた方がいいというオチも、やはり当時は実力主義及び成果主義が幅を利かせていた。これは即ち散々牛馬のごとく働かせ、少しでも根を上げようとすると怠け者となじる。こんなご時世だったからねえ。

まあ確かに、人の2倍努力してやっと半人前なら、4倍で一人前ということになる。まあママが言いたかったのは常に努力を惜しまずがんばりなさいといって励ましたつもりだったのだけれども。

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本当に悪い大人たち<本当は怖いドラえもん>

さて、いろいろとドラえもんの問題点をひねくれた視点ながら掘り下げてきたけれど、やはり大長編ドラえもんについても述べなければならない。
いうまでもなく大長編ドラえもんは、ドラえもんと仲間たちが日常から離れて様々な世界を冒険していくというある意味コミックやテレビアニメ版のガス抜き的存在ともいえる(特に後期が顕著)。
その大長編、特に初期の構成は、ドラえもんたちが大冒険をする一方で悪者たちの企みを打ち破るというのが成り立っている。さてその悪者というのは、

恐竜:恐竜ハンターと大富豪ドルマン
開拓史:ギラーミンとカルタイト鉱業
大魔境:悪大臣ダブランダー一味
とまあ、敵役は大概は悪い大人というわけで。
さて後作品については、魔界大冒険の大魔王デマオンやリトルスターウオーズのギルモア将軍やらはまだいいのだが、鬼岩城に関しては少し事情が違ってくる。そこで今回の本題ということになるのだが。

『のび太の海底鬼岩城』

待ちに待った夏休み、ドラえもんの提案で海底世界でキャンプをすることになった。
みんなが思い思いにキャンプを満喫したのだか、突然海底国の兵士に捕まってしまう。
実は知らぬうちに海底国の領土に足を踏み入れていて、機密保持のためにドラえもんたちは抹殺されることになる。
しかし、先に助けられた少年兵エルか何とか釈放させようとするが、高官たちは聞く耳を持とうとしない。
そんな折、古代アトランチスの兵器群が復活したという情報が伝えられる。そこでエルはドラえもんたちの力を借りることを提案する。
高官たちもそれならばと、問題解決のために一時釈放を許可する。
その思惑はともかくとして、ドラえもんたちも世界の危機には立ち向かわなければならない。
たどりついたアトランチスの鬼岩城、その中枢に潜り込もうとするが、力及ばず全員捕まってしまう。
中枢コンピュータ・ポセイドンにつき出され、世界を救えないのかと涙するしずかちゃんに呼応してか、ドラえもんのポケットの中からバギーが飛び出してポセイドンを破壊する。
こうして世界は救われ、ドラえもんたちは一躍英雄と称えられる。海底国の人々も地上の人間に対して少しずつ見方を変えていくのだった。

その鬼岩城の悪役であるポセイドン(声:富田耕生氏)のほかにムー連邦の高官たちこそがある意味作中における本当の悪人ではないだろうかと思ったのだけれど。
確かに彼らの心情には海を汚す地上人への怒りが根底にあるのだが、しかし結局のところその怒りをドラえもんたちにぶつけているに、いわば八つ当たりである。それもとどのつまりは人類の警鐘でもあるのだが。
やはり偏見に凝り固まっている高官たちの言い分には誰もが下記の兼光さんの一喝のごとく思っただろう。

まあそんな悪質な冗談はともかく、しかし最後、海底人たちも少しずつ地上人たちを認めはじめ、ドラえもんたちも少しでも海を(とどのつまりは地球全体を)守っていこうと心にきめて幕を閉じた。

まあそれが実を結んだか、後の『竜の騎士』においてはやはり地底に紛れ込んだドラえもんたちが地底人たちに捕まり、なんとか逃げようとするも、その途中滅びゆく恐竜たちを一頭でも多く救うべく奔走するドラえもんたちに地底人たちも協力したり、
『雲の王国』にては裁判にかけられたドラえもんたちをドンジャラ村のホイたちや絶滅から救われ保護されたモアやドードーら、そして成長したキー坊らが弁護に回って無実が証明されたというくだりも影響しているのかなと思える。

まあ要は先に人類の警鐘という視点を重く見れば昨今のエコ活動に見られるように我々人類はこれからもこの地球全体に対して思いやりを持たなければならないと、勝手に締める。

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剛田・クリスチーネ・ジャイ子の場合<本当は怖いドラえもん>

そもそもジャイ子とは言うまでもなくジャイアンの妹であり、ドラえもんがのび太くんを助ける前までは彼の嫁さんになる運命だった。
それは本来ののび太くんの不運のひとつであることはまず言うまでもない。何せのび太くん自身その結婚は本意ではなく、背景にはやはりジャイアンが絡んでいるのは容易に理解できる。
確かにあとの不運はのび太くんの責任に帰すことだろうけれど。
ともかくもドラえもんの活躍によって当初の不運は回避できたことは確か。

さて、その改編が成された後のジャイ子はどうなったのかといえば、何と漫画を描くという趣味が出来た。
たしかに改編前はただの専業主婦だということを考えれば影響は強く及んだなと受け止められる。
まあたかが9歳の女の子のこと、この先どうなるかは分からないし、もはや知る術もないだろう。
まあ本編で推測するに、やはり兄貴のジャイアンと同じく下手の横好きといったところか。まあ画力そのものはそこそこいいのだが(これは作画を担当したたがや健二氏によるものだけど)。
しかしながら描いているうちに自分の下手さを自覚したりと兄貴とはちがい謙虚なところもあるので見込みはあるといえばそうなのだけれども。

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のび太のくせに≒子供のくせに<本当は怖いドラえもん>

そういえばこれもネットでの受け売りだろうけれど、話の中ではのび太くんが具体的な要求をする場合がある。その場合、拒否されるのがほとんどである。

それはひとえに「のび太だから」といえるだろうが、言い換えるなら「子供だから」ともいえる。

まあのび太くんの場合、個人的事情もあることだろうけれど、結構不憫と感じられないでもない。それはさておき、

そもそも作者の藤子F先生の子供時代の昭和20年代、つまりは戦後間もない頃、まさにモノがない時代だった。

そしてその一世代後の昭和4・50年代、子供のおねだりもよほどのことがない限り、ただのわがままとしてつっぱねられるのが関の山である。

それが今、90年代頃からモノが豊かになり、ほしいものは容易に手に入るようになるとまあある程度は要求も通るようになったのだが。

それに関連して紹介したいストーリーをば、

『大人を叱る腕章』

最近マナーの悪い大人が増え、注意しようにも生意気だと怒鳴り返される。そこで大人を叱る腕章を出してもらい、大人たちを注意して回っていく。しかしいつものように調子に乗っていくうちに今度はジャイアンの乱暴に歯止めがかからなくなったそうな。

これもまたマインドコントロールの一種なのだろうが、最後にはやはりジャイアンがいわゆるジョーカーの札になってしまい話の腰が折れてしまったが、まあこの話は大人がしっかりしないと子供もまたダメになってしまう、ということで。

またこれは言い過ぎかもしれないが、最近のいわゆるモンスターペアレントと呼ばれる一部の大人たち、彼らの子供だった時分の厳しすぎる(と認識した)親や教師たちに対する反動とも受け止められる。やはりこれも社会の歪みだろう。

編者も容易には断言しかねるのだが、結局のところその責任はまずは本人たちに帰すけれど、当時の大人たちもここはやはり責任はあるだろう。

しかしながら特に2、30代の親御さんには自分たちの子供のころを思い起こし、子供たちにも時には我慢を覚えさせることも大切だとは思うのだが。

要は子供たちにいかにバランスをもって教え育てるか、それを大人たちも真剣に考えなければいけない。

と、勝手に大人の意見を述べて締めたいと思う。

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マインドコントロールの恐怖<本当は怖いドラえもん>

さて、ドラえもんの秘密道具の中で周囲の意思を操作する、いわゆるマインドコントロールの道具がある。今回はそれについて述べたいと思う。

『「真実の旗印」はつねに正しい』

この日もその場しのぎの嘘もすぐに見破られては怒られるのび太くん。

「最近は人を思いやる心がなくなった」とうそぶき。

ドラえもんも「本気でそう思うなら」と、真実の旗印を出す。

これを付けるとどんな言葉も本当の言葉に思い込ませることができるのだ。

それを使ってまず学校を無理やり終わらせるなどみんなをうまく言いくるめるが、最期には風で旗印が飛んでしまって今までついたウソがみんなバレてしまったそうな。

『腹話ロボット』

そもそも口下手なのび太くんはそれでいつも損をしているので、何とかしてくれとドラえもんに頼み込む。

そんなの意味ないと説きつつも結局腹話ロボットを出す。

これは使用者にその場に適した言葉をしゃべらせて相手を言いくるめるロボットである。

のび太くんはそれを使ってママに言いつけられた草むしりを、先生の小言を、そして脅迫されたジャイアンのリサイタルを言いくるめるままに切り抜ける。

さしあたりジャイアンの危機を回避できたことを知らせるためにしずかちゃんのもとへと向かうも、しずかちゃんは入浴中だった。

何とか言いくるめるようとするが、何と言われるまま裸で外を飛び出そうとする。

流石に気まずかったか、のび太くんがロボットを捨ててみんな言いくるめられたのが解かれてしまった。

やはり未来の世界は王様ゲームの感覚でマインドコントロールごっこも流行っていたみたいだ。と、皮肉を言うのはさておき、

道具を外してコントロールが解かれるならまだいいが、実際のマインドコントロールはそんな生易しいものではない。

何せその人の考え方に基づいた思想、主義、果ては人生観までもコントロールしてしまうのだから。

それを解くには相当の根気が必要で、重度の患者はそれこそ自己崩壊の危険性をはらんでいる。

ともかくマインドコントロールの危険性はこのようなものだけれど、それを知ってこその未来の世界では「ごっこ」としてのマインドコントロールが確立してるのだなあ、ということなのだろうか。

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最終回のまぼろし<本当は怖いドラえもん>

知っている人は知っていると思うけれど、ドラえもんは6巻で一度最終回を迎えて連載を終了したことがあった。そのいきさつはさておき、その背景と後の対応について、

その最終回『さようならドラえもん』において自分の弱さを克服してジャイアンに打ち勝った。と思えば、『帰ってきたドラえもん』にて結局またいじめられ、ドラえもんが去った後の“置き土産”で仕返しをした後、偶然にドラえもんが帰ってきた。これもまたある意味前半のストーリーを否定しているともとらえられる。

否定といえばそれから十数年後の『ハツメイカー』の巻にて一時喧嘩別れをしたドラえもんと紆余曲折の末に結局はドラえもんを頼らなければならないようになってしまったという体たらくとなり果てた(あと仲直りのいきさつが結構情けない)。

もうひとつ『仕返し伝票』の巻にては。ジャイアンへの仕返しに他人を頼りっぱなしでかえってひどい目に遭ってしまったという話。何かを成すことに他人を頼ってはいけないという教訓話ということだろうが、これはもはやいい薬どころか劇薬だろう。確かにこの巻を見て子供心にこう思った「大人ってうそつきだ」と、で、今僕も大人になり、F先生を笑えなくなった今日この頃であるけれど。

それでも映画原作の大長編では、大冒険において結構活躍するのだけれどねえ。それらはひとえにあの『最終回』を経てこそだろうとも考えられるのだけれども。

(第1作『のび太の恐竜』の原作も後の第10巻だったから)

まああれこれと述べたけれど、先の2話のつまづきがあったものの、今にすれば『最終回』から本当の意味でのドラえもんのはじまりと受け止められるのではないか。

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さしみ屋さんに惹かれて<本当は怖いドラえもん>

さてみなさん、先日本サイトでリンクしたさしみ屋さんにて、ドラえもんの格闘ゲーム企画なるものが掲載されました。確かにイラストそのものは旧SNKイラストレーターで現在はカプコンに在籍している森気郎さん(が担当するカプエスのイラスト)に大変よく似ております。これもまたお見事というほかはないでしょう。が、

その中で何故か裏キャラということで某ルガール似のDEKISUGI(出木杉くん)だったり某豪鬼似ののぼせあがった静香だったりと、これはもはやと思い、次のネタを考え付きました。それでは、ごゆっくり。

『ゾンビが街にやってきた(ゾンビスプレー)』

ある日スネ夫が先日観た映画についての談義をして、その中の動く死体のゾンビの話に進むと、のび太くんが仰天してしまう。それを見てスネ夫はジャイアンと一緒にからかい半分で追い回す。

後にことのいきさつをドラえもんに話すと、死体がゾンビになるのは迷信だと説きつつ、ドラえもんはいつものクセでゾンビスプレーを出してしまう。これは吹きかけた相手をゾンビにしてしまうスプレーである。

早速のび太くんはスプレーを奪ってジャイアンたちに仕返しをするべく飛び出してしまう。

颯爽と飛び出したのび太くんを見掛け、スネ夫は手に持ったスプレーで仕返しをせんと察知し、のび太くんを誘い込み、駆け寄って来るところを転ばせてしまう。

しかし転んだ先には友だちに宿題を教えている出木杉くんがいて、はずみで吹きかけてしまい、何と出木杉くんがゾンビと化してしまった。

ゾンビの出木杉くんが友だちの一人に抱きつくと、今度はその友だちもゾンビになったではないか。たまらずに逃げようとするも腰が抜けて動けない。今にも襲われそうになるところを空からドラえもんに助け出される。

屋根の上でドラえもんに、このスプレーは未来の世界での鬼ごっこならぬゾンビごっこに使う道具であると説明される。さらにスプレーでゾンビになると捕まえた相手もまたゾンビになってしまうのだ。しかも効き目はまる一日なのである。

一旦戻るべく屋根から降りると、窓から入浴中のしずかちゃんに出くわした。お湯をぶっかけられたはずみにのび太くんはしずかちゃんにスプレーを吹きかけてしまう。当然ながらゾンビとなってしまうしずかちゃん。急いで逃げ戻るドラえもんとのび太くんを尻目にしずかちゃんはお母さんに襲いかかりゾンビにしてしまう。

こうして家に戻ったドラえもんたちはパパとママがゾンビになっていないことを確認してから野比家周辺をゾンビよけのお守りで囲みひとまず難をしのぐ。

結局街中は人々がゾンビになっていてさまよい歩いていた。もちろん、しずかちゃんはゾンビのままあられのない姿で。

そんな折ポケットからベルの音が鳴り黒い受話器を取り出す。未来デパートからの連絡でスプレーの効果を消す薬を射出するという知らせが伝えられた。

こうして未来の世界から1基の小型ミサイルが射出され町の上空で爆発して薬が散布され、人々はみな元に戻った。直後、元に戻ったしずかちゃんの絶叫が響き渡ったのは言うまでもない。

次の日、のび太くんを爪を立てて追いかけまわすしずかちゃんを見てジャイアンたちは「じつにめずらしいな、しずかちゃんがのび太を追いかけまわしているなんて」と事の成り行きを見守っていた。

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秘密道具は秘密にしてこそ秘密道具なのだ<本当は怖いドラえもん>

欲望とは際限なく膨張するものである(某独裁者さん)

『ポカリ=100円(イシャ料支払い機)』

いっつもジャイアンに殴られるので何とかして慰謝料をせしめてやろうと、イシャ料支払機を出してもらう。

しかしいざ使おうとするとママに用を言いつけられやむなく済ませることにする。

その間に聞き付けたスネ夫たちに使われてしまい、やっと用を済ませたときは、ジャイアンもスッカラカンとなって結局慰謝料をもらえずしまいになったそうな。

『デビルカード』

ひょんなことで悪魔を呼び寄せ、人の身長と引き換えに小銭を得るデビルカードを受け取る。

そこで当面の小遣いを得たはいいが、聞き付けたジャイアンたちに強迫されるままに使わされ、さらにはママたちにも勝手に使われてしまう。このままでは身体が小さくなりきって消えてしまう。

そこでドラえもんに頼って、ビッグライトであらかじめ大きくなってから縮んで事なきを得たそうな。

『四次元ポケット』

ある日物置のガラクタを整理しようとみんなで片付けようとするも、意外に手間取ってしまう、そこで何でも入る四次元ポケットでガラクタをしまいつくす。

ところがそれを聞き付けた近所の人たちにもゴミを入れられて、たまらなくなって逃げようとして結局家の前ですっ転んで今まで入れたゴミやガラクタを全部ぶちまけたそうな。

さて、この3本から読み取れるは、秘密道具の便利さにひかれて周囲の人たちが飛び付き、その結果本来の使用者であるのび太くんが貧乏くじを引くという展開となる。

まああと詳細は割愛するけれど、ジャイアンやスネ夫に悪用されていらぬ災難にあった話も枚挙がない。

まあ便利な道具ほど重宝がって寄り付くのは大衆心理としては無理からぬこと。まあそれに対する警鐘としてののび太くんのオチということだけれども、ねえ。

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あたま悪いかあ?<本当は怖いドラえもん>

さてここでは、ドラえもんにおける命題の一つである、作中で時々ネタにされるのび太くんの「弱さ」について述べたいと思う。

『クイズは地球をめぐる(クイズゲームマシン)』

ある日意地悪ななぞなぞでジャイアンに意地悪をされて、何とかして見返してやろうとドラえもんにクイズゲームマシンを出してそのクイズに挑もうとしたが。

そのクイズの内容はと言えば。

1.いますぐこの場で海水浴をせよ。

答.タイムマシンで海だったころの大昔にさかのぼるべし。

2.時速100㎞/h以上で走れ。

答.どこでもドアで赤道直下に赴いて地球の自転に合わせて走るべし。

3.制限時間内に地球を1周せよ。

答.どこでもドアで北極点または南極点に移動してその点の周囲を周るべし。

結局のび太くんはすべて答えることができず、それにドラえもんも一言「あたま悪いなあ」ともらしてしまった。

しかしながら、どれもこれも小学生にはちょっと難しい問題だろう(特に第2問は理屈的におかしい)。それを考慮してやっぱりあたま悪い、ってのもちょっと。

さて、そのあたま悪いをストレートに解釈するなら、一般には「思考力が悪い」「理解力が悪い」「判断力が悪い」果ては「脳機能が悪い」などが挙げられるが。

まあ言ってしまえば「シャレ」なのだけれども。

そもそも「あたま悪いなあ」と言われて、ムキになってあれこれと反発することがかえって見苦しくなるのだから。

しかしながらそれらのリアクションがギャグパターンになっているということは仕方がないと言えば仕方がないのだけれども。

ここは素直に考えて、言われてみれば「ああ、そうだったのか」と納得した方がよいかも。それがこの話で一番描きたかったのだから。

最後に話のオチを述べてシメとしませう。

第4問の「24時間日光を照射して日光写真を写せ」という問いにやはり分からず、南極まで逃げていったら、そこは一日中陽が差している時期だったから正解となったそうな。

(理由:地球の自転は傾いているので時期によって太陽から隠れない部分ができるから)

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0点を取り続けることは可能だろうか<本当は怖いドラえもん>

結論から言って「まあ、漫画だから」といってしまうのはやはり味気ないかも。ここはある程度論理的に述べれば、のび太くんにもっと思考能力がないとまずは無理、といったところか。

 そもそも小学校中高学年レベルの学習だったら算数は代入方程式や分数計算あたり、国語だったら初歩の文書の読解や教育漢字あたりなど、そして他の教科はほとんど低学年の応用、あと歴史学もかじるといったところ。

 そもそものび太くんの学力は小学校2年程度の知能(『人生やりなおし機』より)ということなので、普通にやれば2、30点あたりはかたいはず。それがそれ以来ロクに勉強できなかったということも考えられるにせよ、だ。

 あと精神面でのプレッシャーというものもあるかも、やはり学年が進むにすれ勉強がついていけなくなくなっていったという説明も付けられるが、やはり先生が端っからさじを投げてる(『しずちゃんさようなら』より)からなあ(笑)。

それにのび太くんはその気になれば100点だって取れるのだから(『のび太の100点ピーアール』他より)。

あと今更突っ込むけど、義務教育の中学はともかく、高校まで進学しているということも忘れてはならない(『ガッコー仮面登場』より)。

要は本人のやる気ってところで、ねえ。

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はじめに<本当は怖いドラえもん>

 さてみなさん、昨今リンクを張らせていただきましたさしみ屋さんにて、ドラえもんキャラの格ゲー企画なるものがお送りされていますが、
まあ編者もそれに触発された、というより前々から書き溜めておいたレビューネタをこの機会に、まあ不定期ながらお送りしようかと思っております。
まずははじめのご挨拶から、それでは、ごゆっくり。

 今更述べるまでもなく『ドラえもん』は日本が誇る名作コミックのひとつである。
それを通じて夢を育み、今を生きる指針とした人も少なくはないだろう。
しかしその反面、オチ的に読者への戒めや教訓、しつけ話も大半を占めている。
 そこで本記事は、編者のひねくれた視点ながらこれらの要点を掘り下げていきたいと思う。
もっとも、これからの批評はすでに何らかの形で発表されていることだろうし、あるいはもっと素直な表現も考えられることだろう。
 いずれにしてもこれは一個人の趣味ということで許容をして、ご興味がございましたらご一読をしていただけたらとも思っております。

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